チャーリーの湘南写真館

大磯 旧吉田 茂邸 − その@
ところ: 神奈川県 中郡大磯町   地図
故吉田 茂は、1946年(昭和21年)からの計7年2ヶ月間、内閣総理大臣を担当した。占領下の日本を壊滅から復興への道筋をつけた政治家である。サンフランシスコ講和条約、日米安保条約の締結、日本国憲法の可決などを行い決着をつけた。1967年(昭和42年)、89才で逝去した。
旧吉田邸は、吉田元首相の養父が1884年(明治17年)に別荘としたのが始まり。現在、保存を継続することが困難になってきている。
 (2009/3/22朝、建物はほぼ全焼した。残念)
2006/9/1撮影
形が兜に似ているので兜門。日米講和条約を記念して建てられたので、講和条約門ともいう。
兜門の内側。若き皇太子(現天皇)の来訪にあたり、自動車が門のなかに入れるようにしなければならないだろうということで2本のコンクリートの轍をつけた。実際には、門の外で下車され歩いて入られた。
松林の旧吉田邸は、大磯の海岸に面しており、敷地が約3万m2ある。維持が大変だ。
づっと雨降りであったが、しっとりとした緑が美しい。
故吉田茂元首相の居宅全景。
屋内も詳しく案内してもらった。”素涯(そわ)”と号する自身の書がかけてあった。”素涯(そわ)”とは自身のイニシアルSYをもじったものである。富士山がみえるときは、2階の窓際から大きな椅子に座って見ていたときく。引退後、池田 勇人、佐藤栄作といった彼の直系の首相が登場し、首相官邸へのホットラインで影響を及ぼした。故吉田茂が現在の政治、特に国際政治をみたら何と言うだろう。
居宅の玄関先から応接室方面をみる。玄関のドアは、通常の家は外へ開くが、ここは内側へ開く。






七賢堂。岩倉具視、大久保利通、三条実美、木戸孝允、伊藤博文、西園寺公望、吉田茂の7人が祀られている。
旧吉田邸の一角にたつ銅像。サンフランシスコに向かって微笑んでいる。昭和天皇から血色がいいねと言われ、「わたしは人を喰っていますので」と返答したという。左手に葉巻を持っている。マッカーサーから葉巻を勧められ、「それマニラでしょう?私はハバナしか吸いません」と断り、評価されたという。そのマッカーサーを東京オリンピックに招待し復興した日本を見てもらおうとしたが、実現前にマッカーサーが病気で亡くなった。

今日は、雨が降っており青い海の色はみえないが、後ろは西湘の海、いや、太平洋が広がっている。旧吉田邸の敷地はサンフランシスコまでつながっていると言ったのも道理か。松林の中にある広大な旧吉田邸は、大磯プリンスホテル(西部鉄道)に所属している。莫大な維持費がかかるので、大磯町や国への売却話がでているが、どこも財政難で未解決である。この素晴らしい環境がマンションに変わってしまわないように念じるばかりだ(2006/9/1)。
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参考: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2009/3/22朝、建物はほぼ全焼した。出火原因は漏電の可能性が高い(鍵がかかっていた)が、放火説もある。地元の保存活動が活発になされてきた。敷地は、神奈川県が西部鉄道から購入、建物は寄付を受けて公園として保存する予定になっていた(2009/4/1)。