チャーリーの湘南近辺写真館

小田原城
ところ: 神奈川県小田原城内      地図 築城: 1417年(応永24年)
築城主: 大森頼春
主な改修者: 上杉氏、北条早雲、大久保忠世、稲葉正勝
城主: 後北条氏、阿部氏、稲葉氏、大久保氏
  15世紀中頃に大森氏が築いた山城が前身で、その後戦国大名小田原北条氏の居城となってから、関東支配の拠点として次第に拡張され、豊臣秀吉の小田原攻めに備えるために築城された、城下町を囲む全長9kmにおよぶ総構えの出現により、城の規模は最大に達しました(小田原市発行冊子”小田原城歴史見聞館”より)。この総構え(外郭;土塁と空堀で囲った)は、豊臣秀吉の大坂城を凌ぐものであったそうだ。この規模を警戒されて1614年徳川家康の5万の軍勢に撤去させられた。

北条氏の時代、1561年上杉謙信が、1569年武田信玄が侵攻してきたが撃退した。難攻不落の城であった。1590年豊臣秀吉が、天下統一の総仕上げとして21万人の軍勢で取り囲んだ(小田原合戦)。このとき、北条氏は出撃するのか、篭城を続けるのか、城を明け渡すのかをめぐって城内で議論を行い結論がなかなか出なかった(小田原評定)。北条氏は、篭城100日の後、投降し小田原城はほとんど無血開城となった
2009.12.2.
二の丸隅櫓(1934年再建)。櫓(やぐら)は、一般的に外敵を見張ったり、矢や弾丸を射るための建造物
銅門(あかがねもん):
二の丸広場の正門である。扉の飾り金具が銅で出来ている。江戸前期、1632年からの改修のときに築かれたものと見られる。1997年に復元した


銅門に隣接して、小田原市立三の丸小学校がある。白壁に瓦屋根で武家屋敷風、1995年に竣工した。物凄く立派な小学校だ。こんな学校で学んだ子供達は、小田原のこと、学校のことをこれから先の長い人生で誇りに思うだろう(後日写真をアップロードする予定)
この橋を渡って上がった先が本丸だ
常盤木門(ときわぎもん):
本丸の正門であり最も頑丈に造られている。1971年に復元した
2009.12.2.
天守閣: 四階建て、屋根は三重になっている。1960年鉄筋コンクリートで復元された。



写真:工事中

天守閣の欄干から石垣山一夜城方面を望む 本丸広場では、甲冑・打掛を貸し出していて侍やお姫様に変身できる(\200)
小田原藩は、また、箱根の関所を幕府から預かっており、入り鉄砲出女を管理していた。幕府は、大名の妻子を人質のように江戸に住まわせた。妻子が江戸にいるかぎり幕府に反乱や謀反が出来ないと考えたためだ。そこで江戸からの出女も厳重に管理した。
参考: 小田原市ホームページ「小田原城址公園」
      フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)「小田原城」