チャーリーの湘南近辺写真館

小田原 石垣山一夜城跡
ところ: 神奈川県小田原市早川  地図 
石垣山は、本来「笠懸山」と呼ばれていましたが、天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原北条氏を水陸15万の大群を率いて包囲し、その本陣として総石垣の城を築いたことから「石垣山」と呼ばれるようになりました。この城が、世に石垣山一夜城または太閤一夜城と呼ばれるのは、秀吉が築城にあたり、山頂の林の中に塀や櫓(やぐら)の骨組みを造り、白紙を張って白壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を伐採し、それを見た小田原城中の将兵が驚き士気を失ったためと言われています。しかし、実際にはのべ4万人が動員され、天正18年4月から6月まで約80日間が費やされました(小田原市ホームページ「石垣山一夜城歴史公園」より)。公園面積5.8ha
2009.11.21.
二の丸の広場。左へ一段上がると本丸の広場、さらに上がると天守台跡へと続く
春秋限定だが、乗り降り自由の小田原宿観光回遊バス\200に乗った。資料が配られ、サイトに着くとガイドボランティアがついて丁寧に説明してくれた。
ここは、関東では初めて作られた総石垣の城で、本格的な長期戦に備えたものである。石積みは、自然の石を加工せずに積み上げる野面積(のづらづみ)の手法がとられた
広場は、二の丸跡
石垣山から2.8km離れた小田原城天守閣を見下ろす(望遠レンズ使用)。天守閣は、市内中心部にあるが、敵が簡単に近づくことが出来ないよう、道路は入り組んでいる。上の方に相模湾が広がる
石垣山の北側:箱根登山鉄道がみえる。小田原から箱根湯本、強羅へつづく  天守台:標高261.5m。ここから一段低い西曲輪(くるわ;敷地)をみる。淀君ら側室の住まいがあった
残念石:江戸城築城に向けて切り出された石であるが、納期に間に合わなかったため不要になった。いまだに?放置されている。実生活で”他山の石”としよう
参考: 小田原市ホームページ「石垣山一夜城歴史公園」