チャーリーの茅ヶ崎写真館

  茅ヶ崎 鉄砲道 Upload 2017/3/23 Photo 2017/3
  ところ: 茅ヶ崎市柳島〜平和町       地 図
  江戸時代、銃砲方役人の銃術鍛錬の場として相模川河口の柳島から藤沢片瀬までの海岸に「相州炮術調練場」が設けられた。えぼし岩も標的にされて傷ついたらしい。調練場は、その後明治元年に廃止された。廃止後も日本海軍、米軍の演習場となったが、1959年に返還された。ここで使用する大筒を運搬する道路として、茅ヶ崎 柳島/南湖から富士見町平和学園あたりまでの道路を鉄砲道と呼んできた。東西の1号線、海岸沿いの134号線の中間にあって重要な東西の道路になっている。平成28年から30年にかけて街路樹のリニューアルが行なわれている。ベンチなども整備されるのはウォーキング派としては大歓迎だ。
 
  鉄砲道の東の終点は、学園通りと交差するあたり。つまり上の写真の道路が鉄砲道。上の信号を左右に横切る道路は、学園通り。上の写真の左松林は、平和学園の幼稚園、右には中等部/高等部がある。
   
  鉄砲道をそのまま突っ切ると、上の写真の左に見える湘南新道につきあたる。   
   
  その三叉路には、紅がら、ポルシェ販売店、その右隣が松下政経塾だ。ポルシェの車が走行しているところは、あまり見かけたことがない。
   江戸幕府は、 炮術調練場を茅ヶ崎/藤沢海岸に設け、佐々木卯之助はその管理者であった。南湖などの農民は、卯之助の許可のもとに耕作をしていた。幕府は、この耕作を幕府の許可なく許したことを摘発した。そして卯之助を伊豆国の離島、青ヶ島に流刑した。

南湖の農民は、卯之助に感謝し、写真のような記念碑を立てた。
  鉄砲道の平和町交番。左隣の公園に、明治の歌舞伎俳優市川団十郎の石碑。広大な別荘地があった。   炮術調練場の管理者だった佐々木卯之助の碑  
   
     
   
  鉄砲道の西の終点は、南湖または柳島。上の信号は、南湖中央。左へ行く道路がJRの踏切で渋滞しているようなら、くるりと引き返してJRの線路を地下道で渡ってしまう。このバス停の周囲の小道は、そのためのUターン用かな(後日わかれば、ここで報告します)。
 
   
  上の左半分は、”左富士通り”をはさんで建て替えなった浜見平団地。右手前の2階だては、浜見平交番。  
   
  浜見平交番の向かいにあるショッピングセンター。もうじき桜が咲きそう。スーパー"たまや"のほか、立ち食いスタイルの”いきなりステーキ"が入っている。  
   
  鉄砲道の西の終点近く。ここは、浜見平と柳島の境界だ。  
   
 
 
       
       ↓高砂通りへ
  参考: ・ フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
      ・ 茅ヶ崎市史