チャーリーの茅ヶ崎写真館

史跡・旧相模川橋脚 − 鎌倉時代の橋脚が地震で出現
ところ: 茅ヶ崎市下町屋1丁目 国道1号線と小出川が交差するところ  地図
1923年の関東大震災のとき、水田の中から橋脚が出現した。歴史学者らが研究したところ、鎌倉時代1198年、源頼朝の家来稲毛重成が亡き妻(源頼朝の妻北条政子の妹)の供養のため架けた相模川の橋であることが考証された。この橋脚がもともとの発見された位置に整備され、2008年3月29日に公開された。現在の相模川は、茅ヶ崎と平塚との境にあるが、発見されたものは約1.5km東に位置している。川の河口部は、蛇行したり、枝分かれしたためと見られる
2008.3.30.
「史跡・旧相模川橋脚」の全景。説明会に人が集まってきた。
亡き妻(源頼朝の妻北条政子の妹)の供養のため、何故橋を架けるという大プロジェクトを起こしたのか?。天国と現世とをつなぐ架け橋と考えたという説もあるそうだ
浅い保存池にレプリカが設えてある。本物の杭は、この真下にあり、新鮮な地下水が供給されている。当時の丸太は檜で、表面が研削され豪華な橋であったことが伺える。直径48〜69cm、残っている部分の長さは、3m65cmで逆さに打ち込まれている
当時、橋が完成し、源頼朝が出席して盛大な落成式が行われた。帰途、馬から川に転落した。そのためこのあたりが馬入という地名になったという説もある。そのときの怪我が元で翌1199年に亡くなったとされている(吾妻鏡)
関東大震災のとき、液状化現象で田んぼから出現した当時の橋脚(出典*)。地震の物凄さを教えてくれている
レプリカは樹脂でできている。本物の橋杭はそれぞれの真下にあって、コンクリートカプセルでカバーされ、潤湿性の充填材で満たされている(出典*)
出典*および参考: 茅ヶ崎市教育委員会生涯学習課文化財保護担当編集・発行”国指定史跡 旧相模川橋脚 解説シート1概要編”、発行日平成20年3月28日